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”触れて崩す”

2016年07月24日 22:48

今月発売「月刊秘伝」八月号の表紙のキャッチコピーです。


この”触れて崩す”という文字に合氣を掛けられて、思わずフラフラと購入してしまいました。


記事では三名の方が写真付きで、触れて崩す理合を説明しておられます。


どんなに不思議な現象でも、その現象には必ず理由が有ります。


崩す理合は三者三様ですが、参考になるところがたくさんありました。


しかし、この記事を何百回読んでも、この記事に書いてあるとおりに触れて崩すことができるようにはなりません。


また、触れて崩すことができない人同士で稽古しても、おそらく何年稽古しても出来るようにはならないでしょう。


書いてあるとおりの技法を修得するためには、この記事を書いた人から直伝の稽古をつけてもらうことが必須の条件です。



もっとも、稽古をつけてもらったからといって、直ぐに出来るほど甘いものではありませんが・・・・・・。



下手な稽古と駄目な稽古

2016年06月12日 14:10

振武舘宗家、黒田鉄山先生著 「気剣体一致の武術的身体を創る」 BABジャパン刊 の中に出てくる言葉です。


一部を紹介します。


「出来ないこと、それが駄目なことを意識して、静かに稽古を重ねるのである。


これを「下手な稽古」という。


下手な稽古には上達の道が拓けているが、自分の身体が動かぬことを意識せずに、悪しき日常動作のまま自分勝手に動くものにはそれがない。


それは万年稽古と言い、いつまでたっても駄目なままで、術技は上がらない。


いくら太刀や竹刀の操作が敏速、俊敏になっても、それは運動競技的価値判断に基づくものであって、ただそれだけでは武術的には無であることには変わりはないのだ。


意念、意思によって体の動かぬ所を働かせようとすれば、同じ人間でも、その稽古内容の次元が大きく変わる。


「下手」と「駄目」との差は、自覚的にも他覚的にも比べようのないほど大きなものである。


正しい方向づけを意識するからこそ、極めて静かな稽古というものが重要な意味を持ってくるのである。」


今の自分の稽古は「下手な稽古」か「駄目な稽古」かを常に考えることが重要だと思います。


テレビ放送されました。

2016年04月10日 21:35

9日土曜日9時25分からの、テレビ山口「ちぐまや家族」で当会の模様が放送されました。


大東流合氣柔術のことを非常に分かりやすく紹介していただいたと思います。


また、本番の放送のみならず、番組宣伝の映像でも紹介していただき、ありがたい限りです。


大東流の技は、はた目にはとても本当のこととは思えません。


「そんなので人が倒れる訳がない」


「冗談もいい加減にして下さい」


「これは絶対にやらせだ」


「相手がワザと倒れているに違いない」


感想は様々でしょうが、大東流の技を初めて見る人にとっては、百人が百人とも本当に技が効いて倒されているとは、信じられないと思います。


私たちが稽古している隣では、よく子供たちが柔道や空手や剣道の稽古をしています。


保護者の方が周りで見ておられるのですが、疑惑の眼差しを感じることもしばしばです。


雷太郎さんの体験レポートのおかげで、だいぶ誤解が解けるのではないかと期待しています。


今回の取材に関しての雷太郎さんの記事が、ちぐまや家族のホームページにありますのでリンクしておきます。


ぜひご覧ください。


ちぐまや家族の皆様には大変お世話になりました。


ありがとうございます。


「ちぐまや家族」の取材を受けました。

2016年03月30日 14:16

今日は、当会会員のAさんの紹介で、TYSテレビ山口の「ちぐまや家族」という番組の取材を受けました。


レポーターは、雷太郎さんでした。


テレビの取材を受けるのは、初めての体験ですので、緊張して雷太郎さんに技がかからなかったらどうしようと心配していたのですが、何とか動かせてホッとしました。


スタッフの方も信じられない顔をされていたので、体験していただきましたが、やはり笑いながら倒れていました。


雷太郎さんとスタッフの皆様・会員の方には大変お世話になりました。


ありがとうございます。


今日の様子は、4月9日(土)朝9時25分からの「ちぐまや家族」内で放送予定ということです。


ぜひご覧ください。





にわか達人

2016年03月21日 14:26

先日、久しぶりにKさんと稽古してきました。


Kさんは、大東流のほかにも様々な武術を修行されており、稽古の度に貴重なアドバイスをもらっています。


今回も毎度のことながら、当初はお互いに全く技がかかりません。


力がぶつかって崩せないのです。


そこで、立ち方や姿勢、意識の使い方等について、一つ一つ検証しながら稽古を進めます。


今回は特に、立ち方について、身体のある部分を意識して稽古しました。


そして、最後はこれまた毎度のことながら、お互いに「にわか達人」となり、触れれば相手が崩れる状態となりました。



いままで、何度達人になった事か。


本当に数えきれません。


この状態が冷凍保存できれば良いのですが・・・・・・・・・・・・。


最初から崩せない原因は、つまるところ、この状態が身についていないからだと思います。


要するに技量未熟、稽古不足です。


稽古に励むしかありません。


総て兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすること肝要なり。よくよく吟味すべし。

宮本武蔵 「五輪書」水の巻





マジックレクチャーに行ってきました。

2016年03月06日 15:49

私は、不思議なこと、神秘的なこと大好き人間です。


昨日は当会会員のAさんに誘っていただいて、山口市内のホテルで行われたマジックレクチャーに行ってきました。


Aさんは、優れたプロマジシャンでもあります。


講師の方は、フランスから来られたそうです。


メニューは、カードを使ったクロースアップマジックでした。


参加者は、ほとんどの方がプロマジシャンということで、全くの素人は私も含めて数名だけでした。


内容はプロの方も感嘆するような高度なものだったようです。


私は見事な技にただただ感心するばかりで、技の難易度は全く分かりません。


マジックを演じた後、どのようにやったのかを解説してくれます。


を知ればなるほどと思うのですが、もちろん種が分かったからといって、私みたいな素人が、すぐに出来るような甘いものではありません。


マジックを成功させるためには、カードを操る高度な技術、必要なカードを瞬時に見つけることのできる視力、明晰な頭脳、状況判断能力等、様々な能力が必要になります。


また、プロとして観客を満足させるためには、それ以外にも人を引き付ける話術や人間的魅力、場を盛り上げる能力等も必要になるでしょう。


マジックに限らず、優れた技術を駆使する人を見ると、その技術を身につけるためにどれだけの鍛錬と錬磨を重ねたかを思わずにはいられません。


若い頃は、そんなことができる人は天才で、大した努力もせずにそのような技術を身につけていると思いがちでしたが、いろいろと見聞するにつけ、やはり優れた人ほど、人の何倍もの努力をしていることが分かります。


「長い間の努力・訓練・工夫・研究によって少しづつ出来るようになるのです。毎日の努力もしないで出来るようになるはずがない。」


「今の私を見てすぐに出来るか教われば出来るかと思うが、本当は何十年という訓練の結果が表れてきている、ということなのだ。そういうところを見なければいけない。」


「ここまで来るにはそれ相当の努力をしているのです。ただ何となくこうなったわけではない。」


「人並み以上になるというのは大変なことなのだ。」


佐川先生語録


参加者は若い方が多く、レクチャーが終了した後は、参加者同士あちこちでお互いの“技”を披露しあっている姿が見られ、思わず“切磋琢磨”という言葉が頭に浮かびました。


山口のマジック界の未来は明るいと思います。


おかげで、良い刺激をもらった一日となりました。




矛盾の追求

2016年01月23日 13:15

普通、崩しは相手との接触点を通じて行います。


接触しないで崩す方法も有るかとは思いますが、私の能力を超えていますので除外します。


突き、蹴り、抱きつき等も含めて、接触の仕方には大きく分けて四つの場合が考えられると思います。


すなわち、掴む、掴まれる、触れる、触れられるの四つです。


型稽古の内容も、おおむねこの四つの形態から成り立っています。


相手を掴んでも、相手から掴まれても、触れても、触れられても崩せるように稽古します。


オレは、相手を掴んだらどんな人でも崩すことができる。


タシは、相手から掴まれたらどんな人でも崩すことができる。


この二人がお互いに掴み、掴まれたらどうなるか。


多分、技量の上の方が勝つとは思いますが・・・・・・・


合氣の稽古は、矛盾の追求だと思います。




鍛練の目的

2016年01月23日 09:50

特訓なんて何にもならない。毎日毎日一生鍛え続けるのだ。それが修行というものだ。(佐川幸義先生)


普通、私たちは武道やスポーツに於いて、「その強さの根源は筋力である」と考えています。


そう思うがゆえに、より高い次元を求めて筋力トレーニングに励みます。


私も若い時はそう信じて、筋力トレーニングを熱心に行っていた時期があります。(逆三角形のたくましい身体を作って格好よくなりたい、という願望の方が強かったような気もしますが・・・)


しかし強さの根源が筋力である限り、私みたいなジイさんや、体力・筋力に恵まれない老若男女には夢も希望も有りません。


私がいくら鍛えても、もう若い人や筋力の強い人には到底かないません。


では、何のために鍛えるのでしょうか。


レベルによってその鍛練の目的は変化していくものと思いますが、今現在、私の鍛練の目的は、

「動かない身体」

「ぶれない身体」

「一本になった身体」

を作ることです。


この身体がなければ、氣の力を有効に使えません。


やっかいなのは、上記の身体ができているかどうか、自分では分からないことです。


どうしても検証相手が必要です。


検証相手がいないと出来てるつもりになりがちです。


検証相手がいるのは、本当にありがたいことです。



意識と動きの原理

2016年01月01日 18:29

中国の書画界には


「意在筆先、力透紙背」


筆の先に意識が宿ると、紙の裏に浸透するほどの筆力になる。


という言葉があり、


拳学界には、


「意在指先、力透敵背」


指先に意識が宿ると、敵の背中まで突き通すほどの力が出る。


という言葉があるそうです。


また、書の筆使い、拳法の身体使いに関しては。


「欲上先下、欲左先右、欲前先後」


上に動かしたいと思うならばまずは下を、


左に動かしたいと思うならばまずは右を、


前に動かしたいと思うならまずは後ろを動かしなさい。


という教えがあるそうです。


稽古で氣をつけている事柄の一つです。



りきみについて

2015年12月29日 17:14

「そこでりきまないように」


「もっと力を抜いて」


稽古をしているとよく聞く言葉です。


なぜりきんだら駄目なのでしょうか。


なぜなら、りきんだら氣の力が止まるからです。


氣の力が止まったら筋力になります。


筋力になったら、相手がその筋力に反応して抵抗します。


どんな小さな力でも、筋力を使う限り相手には抵抗が起こります。


ところが氣の力を使い続けることができれば、相手の抵抗は起こりません。


氣の力は相手の抵抗を起こさせない力だからです。


しかし、相手に強くつかまれたり、相手をつかんだりした場合に氣の力を使い続けることは至難のわざです。


どうしても筋力が顔を出します。


とくに相手を倒してやろうとか、やっつけてやろうとする意識があるとりきみやすくなります。


では、りきまないためにはどうしたら良いでしょうか?


その方法の一つが、やさしく、ていねいに、ゆっくりと動くことです。


やさしく、ていねいに、ゆっくりと、りきんで動ける人はあまりいないと思います。


意識の持ち方が、とても大事です。


りきみについての佐川先生の言葉を紹介します。


「ただでさえりきむのだから、稽古ではりきまぬよう特に努力しなければならない。」


「りきんでいないから出来るのだ、りきんでいたら出来ないのだ。」


「りきまないで正確にやるのが上達の早道なのだ。」


「力を入れてつかむということは、敵を倒れなくしてやっているのと同じである。」


「りきんだ力なんて自分が感じるだけで相手に何ら影響を与えない。単なる自己満足だ。そういうことなんですよ。」



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