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相手を動かす

2019年01月20日 14:54

先日、テレビのニュース番組で、バドミントンの桃田賢斗選手に、元プロテニスプレーヤーの松岡修造さんがインタビューしているのを見ました。


桃田選手は、賭博問題で2016年4月に無期限出場停止となり、約一年後の2017年5月に涙の復活優勝を遂げたそうです。


昨年の桃田選手の成績は、82戦74勝で勝率9割超え。


世界ランキングは、前年の282位から、何と一気に頂点の1位まで急上昇したそうです。


この快進撃の原因は、謹慎中に徹底的にこなした地味なトレーニングにあったということです。


おそらく、あの事件が桃田選手の心と身体に大きな変化をもたらし氣の身体・合氣の身体ならぬ、バドミントンの身体が作られたのでしょう。


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このインタビューの中で、桃田選手が


「自分は動かず、相手を動かす」ことを意識している、


と言ったのです。


この言葉を聞いた瞬間、おっ、大東流だ、と思いました。


自分は動かず、相手を動かすというのは、合氣の基本原理の一つです。


バトミントンは、スマッシュの初速が時速493kmにも達することで、球技の中で打球の初速が最も速いスポーツとしてギネス認定されているそうです。


フットワークを使って素早く動き続けることが重要なバドミントンで、自分は動かず、相手を動かすという発想に至るとは素晴らしいことだと思いました。


自分の発想ではなく、コーチのアドバイスかもしれませんが。


いずれにしても、バドミントンでも大東流でも、自分は動かず、相手を動かすというのを体現するのは容易なことではありません。


この言葉を証明するVTRがありましたが、まさにシャトルを自由自在に操って相手を動かしていました。


本当にすごいことだと思います。


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自分は動かず、相手を動かすという言葉を聞いて、急に親近感が湧いた桃田選手を、陰ながら応援したいと思います。



実践なくんば証明されず

2019年01月14日 23:12

実践なくんば証明されず、証明なくんば信用されず、信用なくんば尊敬されず

極真空手 大山倍達先生


稽古に臨んで心にとめている言葉です。


当会の稽古方法は、いわゆる型稽古です。


型稽古には、単独で行うものと、対人で行うものがありますが、当会の型稽古は対人で行います。


対人での型稽古と言えば、技をかける人(取り)と技をかけられる人(受け)が決まっていて、双方が定められた動きをして、ある一つの技を完成させる。

そして取りと受けを交代しながら稽古する。


というのがおそらく殆んどの方が持つ型稽古のイメージではないかと思います。


しかし当会での型稽古は、稽古方法で述べているように、受けは自分が倒されないようにしっかり頑張って抵抗します。


受けにしっかり抵抗されたら、なかなか倒せるものではありません。


受けが自分より力が強い場合は、倒すどころか反対に倒されてしまいます。


尊敬される必要はありませんが、指導者は抵抗されても倒せるという事を体現でき、なおかつどうすれば倒せるのかを指導できなければなりません。


会員の方も錬磨を重ねて技量が向上し、抵抗力も入門時とは比較にならないくらい強くなってきています。


佐川幸義先生の言葉に


素人にしかできないのではしょうがない。どんなに鍛えた人にも出来なくては困るでしょう。素人にしか効きませんと看板下げて歩かなくてはならなくなるよ。


というものがあります。


看板を下げなくて済むよう、今年もさらなる高みを目指して稽古に励みたいと思います。



馬の耳に念仏

2018年09月21日 23:08

その時、私はすかさず「先生合気とは何ですか?」と聞きました。


すると一瞬、先生が「ん!」と詰まってから、「合気とはね…」と言われたのです。


私はハッとして先生のお顔を見ました。


そして次の言葉に集中しました。


先生は、「合気とはね、合気と書いて気を合(がっ)するという意味ですよ。気を合すると読むのですよ」と言われたのです。


「先生! 合気とは気を合することですか?」と、私は思わず声が上ずりました。


先生は、「う~む、そうだよ」とうなずきます。


私は「ありがたい!」と心の中で叫びました。


中略


「気を合するのだ」と分かって、私はピンときたのです。


「合気の極み」p175


錦戸先生は、堀川先生の「合気とは気を合するのだ」というひと言がなかったら、合気をつかめなかったかも知れないとまで言っておられます。


今の私には、この言葉を百万回聞いてもピンときそうにありません。


まさに「馬の耳に念仏」「犬に論語」「牛に経文」「猫に小判」「豚に真珠」です。


おそらく、蓮(ハス)の華をひねるのを見て、微笑むぐらいの境地に達していなければ理解できないのでしょう。


女性のポスターを見てニンマリしているようでは、まだまだ道は遠いかも・・・



きのうのすごいを、あしたのふつうに

2018年07月21日 22:46

「きのうのすごいを、あしたのふつうに」


新幹線の車内広告で見かけたキャッチコピーです。


昨日はすごいと思った技を、明日にはふつうに思えるようにする。


合氣に限らず、技術の修得を目指している人には、ぴったりの言葉ではないでしょうか。


すごいとかふつうとか思うレベルは人によって様々です。


私がすごいと思うことを、ふつうだと思う人もいるでしょう。


反対に、私がふつうだと思うことを、すごいと思う人もいるでしょう。


自分にとってのふつうのレベルが上昇し続けることを、進歩あるいは深化というのかもしれません。


こう考えると、日々の稽古の目的は、自分がすごいと思う事を、ふつうのことにするためと言えるかもしれません。


「きのうのすごいを、あしたのふつうに」


稽古のたびに思い出したい言葉です。



放送されました!

2018年07月19日 13:30

昨日18日(水) テレビ山口 TYSニュースタイムの「ヤマグチサンポ」のコーナーで、当会の模様が放送されました。


短い時間でしたが、このホームページを閲覧した人の数に比べれば、比較にならないくらいたくさんの方が視聴していたことと思います。


世の中には、大東流合気柔術という武術がある、ということを一人でも多くの方に知っていただけたら嬉しい限りです。


やってみたいと思う方がおられれば、もっと嬉しいのですが・・・・


たまたま私達が稽古中に立ち寄られ、運よく取材していただいて放送してもらえたのは、本当に有り難いことです。


感謝!

[ヤマグチサンポ」の取材を受けました!

2018年07月11日 21:24

今日7月11日(水)、防府市武道館で稽古中に、テレビ山口のTYSニュースタイムの中で放送している「ヤマグチサンポ」の取材を受けました。


「ヤマグチサンポ」というのは、TYSのアナウンサーがカメラ片手に県内各地を訪ねるというものだそうです。


今回は防府市の新田地区を取材に訪れたということです。


私はあまりこの番組を見たことはないのですが、木村那津美さんという、清楚で非常に美人のアナウンサーでした。


眼福でした。


私達の稽古風景を見て興味を持たれたらしく、カメラ片手に取材をしていただきました。


少し体験もしていただきましたが、最初私達の稽古を見た時には、自分から倒れる練習をしていると思ったと言っておられました。


大きな男の人が、あまりにも簡単にコロコロ転がるので、自分から転がる練習をしていると思われるのも無理はありません。


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今日の様子は来週(7月16日~20日)のTYSニュースタイム 午後6時50分ごろの「ヤマグチサンポ」のコーナーで放送予定ということです。


ぜひご覧ください。

人一度(ひとたび)にしてこれを能(よ)くすれば

2018年06月26日 11:52

稽古を重ねても上達を感じられずに、落ち込むこともあるかと思います。

こんな時に私たち凡人の気持ちを奮い立たせる言葉を見つけました。


「人一度(ひとたび)にしてこれを能(よ)くすれば、己(おのれ)これを百度(ひゃくたび)す。

人十度(とたび)にしてこれを能(よ)くすれば、己(おのれ)これを千度(せんたび)す。

果たしてこの道を能(よ)くすれば、愚と雖(いえど)も必ず明、柔と雖(いえど)も必ず強なり」


中国の「中庸」という書物の中にある一文です。


人が一回の稽古で出来るようになるのであれば自分は百回稽古する。


人が十回の稽古で出来るようになるのであれば自分は千回稽古する。


人の百倍稽古すれば必ずものになるということです。


また日本にもこんな言葉がありました。


「為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」


江戸時代の米沢藩主 上杉鷹山の言葉です。


要はあきらめないこと、途中でやめないこと、出来るようになるまでやり続けることが大事だということです。


合氣の稽古は、基本稽古でも基本技の稽古でも、訳の分からない難しさに思わずため息が出ます。


自分より力も体格も体重も勝る相手を動かすという、常識では到底不可能なことを修得しようというのですから難しくて当然と言えば当然ですが・・・・


しかし、その難しさがたまらない魅力でもあります。


健康にも良くて、老後の趣味としても最適だと思います。



稽古の壁 

2017年12月29日 22:04

合氣の稽古を始めた人が突破すべき、最初の壁

それは


「自分よりも体格が良くて力も強い初心者に対して、基本技をかけられるようになるかどうか。」


ではないかと考えています。


もちろん基本技にもA難度からG難度まであり(私の勝手な分類です)、力も自分より少しだけ強い人から、比較にならないくらい強い人まで様々ですから、全ての人にかけられるようになることを目指す必要はありません。


まずは自分より少しだけ力の強い人に対して、A難度の技を十人のうち七、八人以上の確率でかけられるようになれれば十分だと思います。


しかし、相手がこちらの動きに合わせて倒れてくれるような場合はともかく、自分よりも力が強い相手に両手首をつかまれたりして、本気で抵抗されたら動かせるはずがありません。


力を入れたら力負けしてしまう。

力を入れなかったら動きようがない。

どうしようもありません。


常識的に考えれば、到底突破不可能な壁です。


突破方法を教わり、一時的に出来るようになっても常に基本技がかかるようには、なかなかなりません。


非常に難しいことですが、この壁を突破できるかどうかが合氣に近づく為の第一関門ではないかと思います。


当会ではすでに数名の方がこの壁を突破されています。


残りの方ももう少しで突破できるところまできています。


楽しみです。



稽古の心構え

2017年12月04日 21:12

教わったことはその時に何としても覚えてしまおうという気持ちが大切だ。


明日があると思ってはいけない。


今度の練習の時に覚えれば良いとか明日やれば良いという考えではいつまでたっても覚えられない。


死ぬまで明日というのは常にあるのだから今やらねばという気持ちでやるのだ。

いつかでは駄目だ。


先生しかできない。

先生は特別だという考えでは決して上達しない。

同じ人間ができるのだから必ず出来るはずだ、という考えを基にして研究すれば出来るようになると私は思う。


佐川幸義先生語録



合氣とは何か

2017年07月02日 13:17

合氣とは何かということは、合氣修得を目指す人にとっては関心の高い事柄だと思います。


合氣の定義は、それぞれの組織・団体によって様々です。


その内容も、技術としてとらえているところ、精神的なものとしてとらえているところ等、統一されたものは何もありません。


松坂慶子さんの「愛の水中花」のごとく、これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛 ♪♪ ではありませんが、おそらく道場の数だけ合氣の定義があるのではないでしょうか。


私が会員の方を転ばせて「これが合氣です。」と言ったらそれが合氣として通用します。


どれが正しいとか、間違いとか、良いとか悪いとかいうものではありません。


ペンとかリンゴとかと違って、実体のないものですから仕方のないことです。


みんなちがって、みんないい のだと思います。



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