氣の力 合氣について         

2015年(平成27年)9月


1 氣の力について

氣の力、呼吸力、中心力、勁力、渾元力等と呼ばれる、筋力によらない神秘的な力(以下「氣の力」という)


氣の力は、太極拳等の内家拳系の中国武術や、合氣系の武術を修行されている方にとっては、何としても身に付けたい力だと思います。


かつての私がそうであったように。


私の現在の認識では、氣の力とはしっかりと立ち、しっかりと座り、しっかりと歩く事が出来て初めて生まれる力だと考えています。


「氣の力とは、自分の身体の重みが地球を押している力の反作用として働く力(足下からの上昇エネルギー)のことである」

2022年(令和4年)6月


私が今までの稽古を通じて分かった事は、氣の力はそれを体得している人から直接手を取って伝授してもらわない限り、いくらDVDを見たり、本を読んだり、氣の力を知らない人同士で稽古しても、よほどの天才ならいざ知らず、私たち凡人が身につけるのはまず不可能だということです。


なぜなら、氣の力は私たちにとって未体験の力、未体験の感覚だからです。


未体験のものは、うまくなりようがありません。


水に入ることなしに泳げるようになろうとしたり、自転車に乗ることなしに自転車に乗れるようになろうとするのと同じ事です。


長年合氣系の武術を修行しても、氣の力を体得できないのは、これを体得している人が極めて少ないため、氣の力を体験する機会が殆んどないためだと思います。


仮に体験する事が出来たとしても、氣の力を体得するには一対一による直伝の稽古を受けることが必要です。しかし、そのような稽古体系を取っているところは極めて少ないのが現状だと思います。


ただ、氣の力があるからといって人を崩したり倒したりできる訳ではありません。


氣の力と、人を崩したり倒したりする技術は、全く別のものです。


これは、例えば柔道であれば、いくら筋力が強くても人を崩したり倒すための技術を稽古しなければ、それが出来ないのと同じ事です。




2 氣の力の検証方法

氣の力があるかどうかを簡単に検証できる方法があります。


この検証方法は、検証相手が必要です。


検証相手としては、自分よりも体格が良くて体重も重く、力も自分よりも強い人が適任です。


まずお互いに向かい合って立ち、足を平行にして肩幅程度に開き、両手も肩幅程度に開いて、お互いの両手の平を胸の前でゆっくりと合わせ、いきなり押したりせずに静かに押し合います。


氣の力があれば、相手の方が重くても、力が強くても関係なく押し崩すことができます。


10回やって7、8回は押せるけれども2、3回は押されてしまうというのは、氣の力が身についているとは言えません。


スピードやタイミングを使って押している可能性があります。


この形で検証する限り、氣の力があれば100回やろうが1000回やろうが押されることはありません。


スピードやタイミングは関係ありません。


力の質が全く違うためです。


座った場合の検証は、お互いに正座で向かい合って同様にします。


私の現在の認識では、相手の体格や体重、筋力等に関係なく押せるようになって初めて、初歩的な氣の力が身についた状態と言えると感じています。


水泳でいえばやっと水に浮くことを覚えた状態、自転車でいえば、やっと転ばないで乗れるようになった状態だと思います。


この浮けるか浮けないか、乗れるか乗れないかの間に無限の開きがあるように、氣の力が有るか無いかの間にも無限の開きがあります。


常識的に考えて、お互いに対等な体勢で、自分よりも体格が良く、体重が重くて力も自分よりも強い相手を押すことができるようになるなど到底不可能に思えます。


まるで雲をつかむような話です。


そんなことができるようになる訳がないと考えるのが普通だと思います。


しかし、氣の力は自分が気がついていないだけで、本来誰でもが持っている力です。


一時的ではありますが、どなたでも自分よりも大きな相手を簡単に押せることを体験することができます。



3 合氣について

合氣の定義については、大東流や合気道の各流派によって様々な捉え方がありますが、現在の私見では


「合氣とは、氣の力を使って、接触した部位を通して相手を崩す技術である。」


と考えています。


つまり、氣の力を体得しない限り合氣は出来ないということです。


なぜなら氣の力は、相手の抵抗を引き起こさない力だからです。


筋力を使って相手を操作しようとすると、どんな小さな力でも相手はその力に反応して抵抗が起こり、力比べになって崩すことができません。


わたし自身、まだまだ未熟で修行の途中であり、今後この捉え方も変わっていくかもしれません。


しかしいずれにせよ、合氣は(意識の使い方も含めて)技術であるという立場は、変わることはないと思います。


合氣は、はた目には不思議で神秘的なものですが、正しい理論による、正しい指導を受け、真剣に稽古に励めば、誰にでも修得可能な技術です。


もちろん、修得するには一朝一夕とはいかず、到達するレベルも各人の熱意や能力によると思います。


合氣の稽古は、私たち自身に隠れていた能力に気づかせてくれます。


私たちは、自分の心と身体の使い方について、ほとんど何も知らないということを知ることが出来ます。


合氣の修練は、人間の心と身体に対する尽きせぬ探求です。