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氣の力は、私達の誰もが持っている!
2017年04月02日 14:00日々の稽古を通じて思うことは、その力の強弱はあれ、私達の誰もが氣の力をすでに持っているということです。
その証拠に、氣の力を体現できる人から、心と身体の使い方を習い、呼び水を注いでもらえば、誰でも瞬時に氣の力を使う事が出来るようになります。
あらためて筋力トレーニングとか、呼吸法等の訓練をして何かを身につける必要はありません。
錦戸無光師範が言われる「人の身体は本来「氣の身体」なのであり・・・・・・・。」というのはまさにこのことを言っているのだと思います。
本来は氣の身体であるにもかかわらず、長年の生活習慣のために筋肉主体の身体になっているのです。
しかし、瞬時にできるようになっても、残念なことに瞬時に出来なくなってしまいます。
長年の筋肉主体の習慣が顔を出すためです。
氣の力を再現性の高いものにするためには、錬磨を重ねるしかありません。
まずは筋力から脱して、氣の力を使えるようになるのが第一だと思います。
そのうち
2017年01月23日 17:55そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ち着いたら
そのうち そのうち そのうち・・・・と
できない理由をくりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上にさびしい人生の墓標が建つ
そのうち そのうち 日が暮れる
いまきた この道 帰れない
ある方のブログにありました。
人生は、今の連続です。
今 やらないことは、永久にやりません。
今 できないことは、永久にできません。
何事でもやるなら今しかありません。
今年は、やらなかった後悔がいっぱい詰まった頭にならないようにしたいと思います。
稽古納め
2016年12月29日 14:15昨日は当研究会の稽古納めでした。
会員の皆様のおかげで、怪我もなく充実した稽古ができた一年になりました。
いろいろとお世話になり誠にありがとうございます。
皆さん、上達があまり実感できないとおっしゃいますが、私の場合と比べると雲泥の差で上達されています。
来年も自信を持って稽古に臨んでいただきたいと思います。
皆様、良いお年をお迎えください。
稽古の難しさ
2016年08月29日 19:09氣の力等の筋力に頼らない力を修得するためには、まず日常的な動きの質を変えることが必要です。
動くべきところ、動いてはいけないところ等をしっかり守らなければ、氣の力ではなく筋力になってしまいます。
氣の力等の稽古の難しさの一つは、自分の意識と実際の動きが違うことだと思います。
「動かしているつもりはなくても動いている。」
「動かしているつもりでも動いていない。」
自分が間違ったことをしたという自覚があれば修正のしようも有るのですが、それがないため、修正が非常に困難です。
「あなたの動きはこうなっている。」と言われても
「そんな筈はない、私は言われたとおりにやっています。」
と反論したくなります。
このような思いは、この種の稽古をされてる方は、稽古を始めた当初、ほとんどの方が持たれたのではないでしょうか。
しかし、反論したくても出来ないのは、正しい動きができた時とできない時では、稽古相手の反応があまりにも歴然と違うからです。
正しい動きができた時は、ウソでしょ!と言いたいくらい簡単に相手が動きます。
しかし出来ない時はびくとも動きません。
自分が言われたとおりの動きをしていないと認めざるを得ません。
新しく稽古を始める方には、予備知識として知っておいていただきたいと思います。
合氣について
2016年08月08日 19:11「力まかせにやっていくと、しまいに互いに抵抗力がついて互いに技が効かなくなって行き詰ってしまうでしょう。
それを乗り越えるのは何かというと、それが崩しなのです。そして崩しが合氣の術なのです。」
「合氣が分かったら、どんな者に対しても力を使わずにできる。」
「力が強い者はやりにくいというのは合氣ではない。」
「崩しは合氣の一部だが全てではない。」
「合氣がなければ、年をとったら出来ない。合氣が分かれば、力とか年齢を乗り越えられるのだ。」
「合氣は集中力とか、透明な力というような、いわゆる力とは違うものである。合氣は敵の力を抜いてしまう技術だからである。そのうえくっつけて離れないようにもしてしまうのだから大変なことである。」
佐川幸義先生語録
合氣についての佐川先生の言葉が身にしみる今日この頃です。
”触れて崩す”
2016年07月24日 22:48今月発売「月刊秘伝」八月号の表紙のキャッチコピーです。
この”触れて崩す”という文字に合氣を掛けられて、思わずフラフラと購入してしまいました。
記事では三名の方が写真付きで、触れて崩す理合を説明しておられます。
どんなに不思議な現象でも、その現象には必ず理由が有ります。
崩す理合は三者三様ですが、参考になるところがたくさんありました。
しかし、この記事を何百回読んでも、この記事に書いてあるとおりに触れて崩すことができるようにはなりません。
また、触れて崩すことができない人同士で稽古しても、おそらく何年稽古しても出来るようにはならないでしょう。
書いてあるとおりの技法を修得するためには、この記事を書いた人から直伝の稽古をつけてもらうことが必須の条件です。
もっとも、稽古をつけてもらったからといって、直ぐに出来るほど甘いものではありませんが・・・・・・。
下手な稽古と駄目な稽古
2016年06月12日 14:10振武舘宗家、黒田鉄山先生著 「気剣体一致の武術的身体を創る」 BABジャパン刊 の中に出てくる言葉です。
一部を紹介します。
「出来ないこと、それが駄目なことを意識して、静かに稽古を重ねるのである。
これを「下手な稽古」という。
下手な稽古には上達の道が拓けているが、自分の身体が動かぬことを意識せずに、悪しき日常動作のまま自分勝手に動くものにはそれがない。
それは万年稽古と言い、いつまでたっても駄目なままで、術技は上がらない。
いくら太刀や竹刀の操作が敏速、俊敏になっても、それは運動競技的価値判断に基づくものであって、ただそれだけでは武術的には無であることには変わりはないのだ。
意念、意思によって体の動かぬ所を働かせようとすれば、同じ人間でも、その稽古内容の次元が大きく変わる。
「下手」と「駄目」との差は、自覚的にも他覚的にも比べようのないほど大きなものである。
正しい方向づけを意識するからこそ、極めて静かな稽古というものが重要な意味を持ってくるのである。」
今の自分の稽古は「下手な稽古」か「駄目な稽古」かを常に考えることが重要だと思います。
テレビ放送されました。
2016年04月10日 21:359日土曜日9時25分からの、テレビ山口「ちぐまや家族」で当会の模様が放送されました。
大東流合氣柔術のことを非常に分かりやすく紹介していただいたと思います。
また、本番の放送のみならず、番組宣伝の映像でも紹介していただき、ありがたい限りです。
大東流の技は、はた目にはとても本当のこととは思えません。
「そんなので人が倒れる訳がない」
「冗談もいい加減にして下さい」
「これは絶対にやらせだ」
「相手がワザと倒れているに違いない」
感想は様々でしょうが、大東流の技を初めて見る人にとっては、百人が百人とも本当に技が効いて倒されているとは、信じられないと思います。
私たちが稽古している隣では、よく子供たちが柔道や空手や剣道の稽古をしています。
保護者の方が周りで見ておられるのですが、疑惑の眼差しを感じることもしばしばです。
雷太郎さんの体験レポートのおかげで、だいぶ誤解が解けるのではないかと期待しています。
今回の取材に関しての雷太郎さんの記事が、ちぐまや家族のホームページにありますのでリンクしておきます。
ぜひご覧ください。
ちぐまや家族の皆様には大変お世話になりました。
ありがとうございます。
「ちぐまや家族」の取材を受けました。
2016年03月30日 14:16今日は、当会会員のAさんの紹介で、TYSテレビ山口の「ちぐまや家族」という番組の取材を受けました。
レポーターは、雷太郎さんでした。
テレビの取材を受けるのは、初めての体験ですので、緊張して雷太郎さんに技がかからなかったらどうしようと心配していたのですが、何とか動かせてホッとしました。
スタッフの方も信じられない顔をされていたので、体験していただきましたが、やはり笑いながら倒れていました。
雷太郎さんとスタッフの皆様・会員の方には大変お世話になりました。
ありがとうございます。
今日の様子は、4月9日(土)朝9時25分からの「ちぐまや家族」内で放送予定ということです。
ぜひご覧ください。
にわか達人
2016年03月21日 14:26先日、久しぶりにKさんと稽古してきました。
Kさんは、大東流のほかにも様々な武術を修行されており、稽古の度に貴重なアドバイスをもらっています。
今回も毎度のことながら、当初はお互いに全く技がかかりません。
力がぶつかって崩せないのです。
そこで、立ち方や姿勢、意識の使い方等について、一つ一つ検証しながら稽古を進めます。
今回は特に、立ち方について、身体のある部分を意識して稽古しました。
そして、最後はこれまた毎度のことながら、お互いに「にわか達人」となり、触れれば相手が崩れる状態となりました。
いままで、何度達人になった事か。
本当に数えきれません。
この状態が冷凍保存できれば良いのですが・・・・・・・・・・・・。
最初から崩せない原因は、つまるところ、この状態が身についていないからだと思います。
要するに技量未熟、稽古不足です。
稽古に励むしかありません。
総て兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすること肝要なり。よくよく吟味すべし。
宮本武蔵 「五輪書」水の巻