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あれから3年 その2

2023年02月24日 18:24

徘徊老人と化してから今日までたくさんの方に出会いましたが、その中ですごいと思った方を何人か紹介したいと思います。


山に通勤を始めて間もなくのことです。


52歳の時から20年間、年に330回ほど山に登っているという男性に出会いました。


単純計算で6600回ほど登っていることになります。


これは意志の強さはもちろんですが、仕事や家庭の事情もあるだろうし、ケガをしたり病気になったりすることもあり、1年に330回の登山を20年間続けるというのはなかなか出来るものではありません。


生活習慣病を克服するために山歩きを始めたということでしたが、おかげで元気になったそうです。


その立ち姿は若々しく活力に溢れていて、とても生活習慣病を患った方には見えませんでした。


その方に「楽に歩くコツはありますか?」と尋ねてみました。


その方は言下に「無い!」と否定されました。


私は深くうなずきました。



あれから3年 その1

2023年02月23日 11:03

2020年4月、第一回目の緊急事態宣言が発令されて武道館が休館となり、私たちの稽古も自粛を余儀なくされました。


コロナ禍で外出もままならず暇を持て余したので、久しぶりに山でも歩こうかと近所の山に行ってみました。


ところが、わずか100メートルほど坂道を登ったところで、息はゼイゼイ、心臓バクバク、膝はガクガク、頭クラクラとなって倒れそうになったのです。


「何じゃこりゃ!」です。


別に重い荷物を背負っていたわけではありません。


軽く運動のつもりだったので、持ち物はポケットに入れた携帯とメガネだけです。


こんなわずかな距離を歩いただけでこのような状態になるとは、我が身のあまりの弱体ぶりに愕然としました。


日頃は会員の方に「しっかりと立ち、しっかりと座り、しっかりと歩くことが重要です。」とか、偉そうに講釈を垂れていたくせに、ほんのちょっと坂道を登っただけでこのザマです。


恥ずかしくて穴があったら入れたいと思いました。


・・・・・・・・・・


あれからもうすぐ3年


あの日以来徘徊老人と化して、リュックに付けた鈴の音を道連れに、三密とは無縁の山の中を歩き回る毎日です。


山の新鮮な空気を吸って、春夏秋冬、季節の変化を楽しみながら元気に徘徊できることは本当にありがたいことです。


おかげで、顔も真っ黒になり、足腰も多少は丈夫になって心肺能力も向上し、少しくらい歩いても倒れそうになることはなくなりました。




しっかりと立つ

2022年10月11日 19:22

合気という技術を発揮するためには、相手よりもしっかりと立てていることが必須の条件です。


なぜなら、相手よりもしっかりと立てていない場合、相手と接触した瞬間に崩されてしまうからです。


接触した瞬間に崩されたら、どんなに優れた合気の技術を持っていても、それを使う余地がありません。


技術以前の問題です。


逆に言えば、相手よりしっかりと立てていれば、合気の技術がなくても接触した瞬間に相手を崩すことが出来るということです。(相手に合気をかけることは出来ませんが、相手の合気はこちらに通用しません。)



は、しっかりと立つとはどういうことでしょうか。


私たちは、物心がつく以前から立っています。


そのため、普通に生活が出来ている人で、自分がしっかりと立てているとか立てていないとか考える人はあまりいないと思います。


日常生活に全く支障はありませんから、何か特別な体験でもしない限り、こんなことを考えることはありません。


私も、氣の力を身につけたくて拳法道場に入門するまでは、自分が立てていないなどとは夢にも思ったことはありませんでした。



私の今の認識では、「しっかりと立つ」とは相手と接触した時、いかに相手に寄りかからないで立てるかどうかだと考えています。


これを読んで、なるほど相手に寄りかからなければ良いのかといって、寄りかからないで相手に接触できる人はおそらく一人もいないと思います。


いや俺は出来るという方もおられるかもしれませんが、私たちは訓練しない限り何かに接触したらそれに寄りかかるようにプログラムされているのです。


特に相手と押し合いをするような場合、必ず相手に寄りかかって押そうとします。


相手もこちらに寄りかかって押してきます。


お互いに寄りかかり、支え合い、ぶつかり合って押し合います。


当然体重が重くて力の強い方が有利になります。


筋力・体力の世界です。


しかし、相手に寄りかからずしっかりと立つことが出来れば、自分より体格も体重も腕力も勝る相手を動かすことが出来ます。


しっかりと立つためには筋力や、体重、体格、年齢、性別はあまり関係ありません。


なかなか難しいことですが、指導を受けて鍛練を重ねれば誰でもしっかりと立てるようになります。




しっかりと立つことの出来る身体は、力みのない身体、遊びのない身体、緩みのない身体、弛(たる)みのない身体、詰まりのない身体、一本になった身体、動かない身体でもあります。


そして当会の目指す身体は、佐川幸義先生の言われる「どんな力も受けつけない身体」、「近づくだけで相手が倒れてしまう身体」です。 



一丁目一番地をめざして

2022年07月14日 19:15

今までは基本稽古で、とにかく相手を動かせれば良しみたいなところがありました。


しかし、自覚以降妄想を重ねた結果、それでは駄目だと言うことに気づきました。


当面の目標は、筋力を全く使わないで相手を動かせるようになることです。


筋力を少しでも使った場合は、相手が力とか重みを感じます。


当然自分も、相手の抵抗を感じます。


しかし、これでは相手を動かせてもまだ不十分なのです。


相手も自分も、力を全く感じないで動かせなければ、十分ではありません。


筋力は自分の身体を動かすだけ、自分の姿勢を変化させるだけのために使うのです。


基本稽古・基本技の稽古が、筋力を全く使わなくて出来るようになったとき、そのときが合氣の上達・深化のための一丁目一番地到着だと考えています。


そして、そのときは理合が身についたときでもあります。


合氣の上達・深化のためには、必ずここを経由しなければならないのです。


まだまだ道は遠いですが、老後の暇つぶしにこれ以上のものはありません。

基本稽古の難しさの正体

2022年07月03日 17:07

当会では基本稽古で、筋力では到底不可能なことを稽古しています。


たとえば、自分よりも体格が良く体重も重く筋力も強い人に両手首を掴まれたり、自分が掴んだり、手のひらで触れた状態から相手を動かすというようなことです。


型稽古ですので、動かす方向を決めて行います。


動かす方向は主に前後、左右、上下の六方向です。


相手が忖度して動いてくれる場合はともかく、真面目に抵抗されたらどんなことをしても相手を動かすことは出来ません。


相手は自分よりも筋力が強いのですから、動かそうとすると簡単に止められてしまいます。


しかし、動かす方法を指導すると、指導した人は全員一人の例外もなく出来るようになります。


ところが少し時間が経過したり稽古相手が変わると、これも一人の例外もなく出来なくなります。


また指導すると、すぐ出来るようになるのですが、これまたすぐに出来なくなります。



普通、私たちが一旦身体で何かを覚えた場合、それが出来なくなることはまずありません。


たとえば、泳げるようになったり、自転車に乗れるようになることです。


一旦泳げるようになったり、自転車に乗れるようになったら、たとえ10年ぶりに泳いだり自転車に乗っても、下手になっていることはあっても、全く出来なくなっていたということはありません。


しかし基本稽古の場合は、5年稽古しても6年稽古してもすぐに出来なくなるのです。


しかも出来なくなってから、出来た動きを自分で再現することが極めて難しいのです。


難しいと言うより不可能と言った方が適切かもしれません。



私は今日まで、これは常識外れの技術だから難しくて当たり前だと思っていました。


そのため、難しさについて深く考えることはありませんでした。


しかし、氣の力の正体が分かって以来、呆けた頭でいろいろ妄想しているうちに、基本稽古の難しさの正体が分かったのです(多分)。


基本稽古が死ぬほど難しい理由は、基本稽古は「人間本来の本能を駆逐して、新たな本能に入れ替える作業」だからです。



人は誰かに手を掴まれて何かをしようとする場合、必ず力を入れて(力んで)対応します。


基本稽古でも、手首を掴まれて相手を動かす稽古の場合、一人の例外もなく力んで相手を動かそうとします。


相手が自分よりも力が強くて、力んで動かしても無駄だと分かっていても力んでしまいます。


なぜなら、私たちの身体はそういう場合、防衛本能として「力んで対処する」ようにプログラムされているからです。


自分一人で動いている場合や、抵抗が小さい場合は力まない動きは何の問題もなく出来ます。


しかし、人から掴まれたような場合「力まないで対処する」というプログラムは私たちの身体にはないのです。



私が指導しているのは「掴まれた状態でも力まないで動く方法」です。


のため、指導を受けて一時的に新しいプログラムである「力まない動き」が出来ても、時間が経過したり稽古相手が変わるとすぐに本来のプログラムが作動して「力んだ動き」になってしまうのです。


そして、力まない動きを再現しようとしても、本来のプログラムが作動中のため、自分の意志では再現できないのです。



本能に打ち勝つことがどれほど難しいことかは、たとえば泳げる人が自ら溺れようとしたり、自転車に乗れる人が自ら転ぼうとするのを想像すると分かると思います。


防衛本能が働いて、なかなか出来るものではありません。


基本稽古が死ぬほど難しい理由は、新たな本能を構築し、なおかつ本来の本能を駆逐しなければならないからです。


敵は本能寺にあったのです。



基本稽古は、自分の無意識・潜在意識との戦いです。


戦いに勝つ方法は一つしかありません。


勝つまで戦い続けることです。



氣の力についての誤った認識 2/2

2022年07月02日 14:12

前回のブログとほぼ同じことですが


「氣の力は相手の抵抗を引き起こさない力である」という認識は誤りだった、ということです。


「氣の力 合氣について」のところで「氣の力は相手の抵抗を引き起こさない力である」と言っていますが、これも誤った認識でした。


「氣の力」と「相手の抵抗を引き起こさない力」は全く別のものでした。


「相手の抵抗を引き起こさない力」は「筋力を使わない動き(力まない動き)」によって生まれる力です。


私の今の認識では、氣の力は「力まない動きによって生まれる力」をパワーアップするものです。


したがって、「力まない動きが出来ない場合」は氣の力の自覚の有無にかかわらず、氣の力が発揮されることはありません。


なぜなら、どんなに強大な氣の力があったとしても力んだ瞬間、氣の力はなくなってしまうからです。


氣の力、勁力、呼吸力、丹田力、中心力等のいかなる力も、力まない動きが出来ない限り使えないのです。


力まない動きが出来るようになることは、合氣上達のための一丁目一番地です。


しかし、一丁目一番地にたどり着くことは死ぬほど難しいことなのです。



氣の力についての誤った認識 1/2

2022年07月01日 13:19

氣の力を自覚して以来いろいろと検証中ですが、氣の力について誤った認識をしていたことが分かりました。


この分かったことも誤っている可能性がありますが、誤りに気づくことは進歩の証と前向きに捉えたいと思います。


このホームページにも、氣の力について誤ったことを書いていましたので訂正したいと思います。


「氣の力が使えるから技が出来る」という認識は誤りだったということ


合氣の稽古を始めてから今日に至るまで「筋力では到底不可能なことが出来るのは氣の力が使えるからである」と堅く思い込んでいたのですが、「それが出来るためには氣の力は関係ない」ことが分かりました。


「氣の力について 3」のブログで「筋力では到底不可能と思われることが誰でも例外なく出来るようになるのは、氣の力をすべての人が持っているからである」と、あたかも氣の力を使えるように指導したから基本技が出来るようになる、というようなことを書きました。


筋力で出来ないことが出来るのは、すべて氣の力が使えた結果だと思っていたのです。


ところが、氣の力をオフにした状態で基本稽古をやってみると出来るのです。


もちろん氣の力をオンにした状態でも出来ます。


本稽古が出来るためには、氣の力の有無は全く関係なかったのです。


長年大きな勘違いをしていたことに気づいて愕然としました。



しかし、よくよく考えてみると、氣の力の有無が全く関係ないのは当たり前のことでした。


相手が抵抗するのは、自分が筋力を使って動かそうとするからです。


自分が相手を動かそうとして筋力を使ったら、その反作用として相手も押し返すことが出来ます。


相手から押し返されないようにするには。筋力を使わないで相手を動かせば良いのです。


自分が筋力を使わなかったら、相手も抵抗のしようがないのです。


筋力を使わない動き(力まない動き)をするのに氣の力の有無は関係ありません。


氣の力がなくても力まない動きは出来るのです。



氣の力について 4

2022年06月20日 20:47

氣の力の正体に気づく以前と、気づいた以降の大きな違いは、重力の反作用の力(以下「上昇エネルギー」という)を自分の意思で自由にオン・オフが出来るようになったことです。


上昇エネルギーをオンにした状態とオフにした状態の違いを少し書いてみます。


1 身体が緩まない


上昇エネルギーをオンにすると、身体を緩めてダランとしようと思っても、身体が緩まなくなります。


脱力しようと思っても、身体がまるで膨らんだ風船のようになって脱力できないのです。


その状態でオフにするとその瞬間、風船がしぼむが如く身体がしぼんで足下から崩れていきます。


2 腕が伸び伸びとして動きが大きくなる。


オンにした状態で腕を回したり、木刀の素振りをしたりすると、軽くやっているにもかかわらず腕が伸び伸びとして動きが大きくなります。


オフにした瞬間、腕が縮んで動きが小さくなります。


3 身体と腕が軽くなる。


オンにした状態で練功をすると身体が軽く感じられ、特に腕の浮力が今までになく強くなります。


腕の重みがなくなって腕が空中に浮揚しているような感じです。


オフにした瞬間、腕は重くなって落下します。


氣の力について 3

2022年06月18日 20:31

もし、氣の力の正体が重力の反作用の力だとしたら、氣の力は老若男女関係なくすべての人間が持っている力と言うことになります。


当会の基本稽古は、筋力では到底不可能と思われる内容ですが、やり方を指導すると一時的にせよ誰でも例外なく出来るようになります。


以前は、氣の力のことを「私たちの誰もが持っているにもかかわらず、ほとんどの人が気づいていない力」と言っていましたが、これは指導すると誰でも出来るようになるので、誰もが持っている力と言っていただけで、氣の力の原動力が何かが分かっていた訳ではありませんでした。


氣の力がすべての人に作用している反作用の力だとすると、誰でも出来るようになることが納得できます。


師範に「どれくらい稽古をしたら自覚できるものですか」と聞いた時、「今日自覚できるかもしれないし、何年、何十年かかるかもしれない。自分次第です。」と言われましたが、氣の力が本当に重力の反作用の力だとしたら、すでに自分の中にあるものに気づけば良いだけですから、そう言う以外に言い方はなかったのだろうと思います。


私の場合は、1990年に入門して、仕事の都合で3年ほどしか稽古できませんでしたが、自覚するのに30年以上かかってしまいました。


しかしよく考えてみると、何かが上昇する感覚は何年も前からあったような気がします。


なぜ今まで気がつかなかったのか不思議なくらいです。


単に鈍いだけかも知れません。


氣の力について 2

2022年06月16日 14:01

地球には重力があります。


「重力」とは「地球上の物体に下向きに働いて重さの原因になる力」(広辞苑)です。


私たちの身体には常に地球の中心に向かって引く力が働いています。


私の体重は約60キロですが、逆に言えば両足で立っている場合、何もしなくても60キロの力で、常に地球の中心に向かって押し続けていることになります。


また、ご存じのように作用反作用の法則というものがあります。


「ある物体が他の物体に作用を及ぼすとき、それとは逆向きで大きさの等しい反作用が常に働く」(デジタル大辞泉)というものです。


私が60キロの力で地球を押し続けているということは、私も地球から60キロの力で押し返されているということです。


つまり、私の身体の中では、60キロの力が足の裏から頭頂に向かって常に上昇し続けているということです。


何をアホなことをと思われる方がほとんどだと思いますが、氣の力の正体は


「自分の身体が地球を押している力の反作用として働く力」だったのです。

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