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氣の身体・合氣の身体とは
2024年10月06日 17:05当会では、型稽古を通じて合氣修得を目指していますが、特に身体作りを重視して稽古を行っています。
なぜなら、身体が出来ていなければ氣の力も合氣も使えないからです。
稽古中に合氣が出来るようになっても、すぐに出来なくなるのはなぜかといろいろ考えてきましたが、結局身体が出来ていないからだと気づいたからです。
身体作りの重要性については、佐川先生も錦戸先生も口を揃えて仰っています。
何を今更という感じですが、最近この言葉の意味を身体で理解出来たように思います。
まずは、氣の身体・合氣の身体を作ることが第一です。
しかし、入会したばかりの方にとっては氣の身体・合氣の身体と言われても、それがどういう身体なのか想像もつかないと思います。
今回は、現段階で私が考える氣の身体と合氣の身体の定義を書いてみます。
1 氣の身体とは
「氣の身体とは、氣の力(足下からの上昇エネルギー)を使う技術を有する身体をいう」
氣の力は私たちの誰もが持っている力なので本来は誰でも氣の身体なのですが、この力を使いこなすには氣の力を使う技術が必要です。
氣の力を使う稽古をしていない人は、筋力しか使えません。
いわば筋力の身体です。
従って、当会では稽古によって氣の力の使い方が身についた身体を氣の身体としています。
2 合氣の身体とは
「合氣の身体とは、氣の身体に加えて相手と接触した部位を通じて相手と一体になる技術を有する身体をいう」
つまり合氣の身体とは、氣の力が使えて尚且つ相手とひとつになることが出来る身体としています。
当会の稽古は、最初から合氣の身体作りを目指しています。
稽古回数が多い訳
2024年08月16日 13:23「何でこんなに稽古回数が多いのですか?」
会員の方から度々質問されます。
当会の稽古休みは、原則として毎週月曜日と第1・第3日曜日、加えて月1回の武道館休館日としています。
8月の稽古回数は、週に5~6回で合計24回です。
1回2時間ですから月に48時間。
稽古参加回数に制限はありませんので、時間とやる気さえあれば月24回48時間稽古できます。
会費は月1万円ですから、全部参加することができれば、1時間あたり約210円です。
非常にお得です。
一般的な稽古事であれば週に1回とか2回程度が普通だと思いますので、稽古回数が多いことに疑問を持たれるようです。
聞かれる度に「老後の暇つぶしです」と答えています。
もちろんそれも理由の一つではあるのですが、真意は別にあります。
稽古回数が多い本当の理由は、私自身の稽古のため、私自身の上達のためなのです。
稽古では偉そうに講釈を垂れていますが、教えられているのは私の方なのです。
自分よりレベルの高い人から教えてもらわないと上達しないのではないか、と思っている方もおられるかもしれませんが、少なくとも合氣の稽古に関してはそればかりではありません。
体格、体重、筋力、身体の使い方等、人それぞれです。
技に対する反応も一人一人違います。
会員の方との稽古で、毎回毎回たくさんの気づきがあり勉強になっているのは私なのです。
型稽古とはいえ、自分より体格も体重も筋力も勝る相手を動かせるようになることは、常識では到底不可能なことです。
これが出来るようになるには、身体の鍛練と技術の錬磨という地味な稽古を積み重ねるしかありません。
会員の方は、お金を払って私の稽古相手に来てくださる有り難い存在です。
時間の許す限り稽古に来て頂きたいと思います。
合氣が分かるとはどういうことか。
2024年06月15日 21:47佐川幸義先生は
「合氣が分かってから本当の修業が始まるのだ。
長い間の持続した鍛錬と研究の結果少しずつできるようになってくるものだ」
「合氣は理が分かって何十年かの鍛錬をすれば誰にでもできる」
と仰っています。
ということは、合氣とは何かが分からなければ、何十年稽古をしても合氣ができるようにはならないということです。
水泳でも自転車でも、まずは泳げるようになること、自転車に乗れるようになることが第一です。
泳げるようになって初めてクロールや平泳ぎの練習ができますし、自転車に乗れるようになって初めて山道やでこぼこ道を走る練習ができます。
合氣が分からない状態というのは、まだ泳げない、まだ自転車に乗れない状態と同じことです。
ですから、合氣が分からない状態で何年稽古しても、合氣ができるようにならないのは当然です。
まずは、合氣ができるようになることが最初の目標です。
では合氣ができる、合氣が分かるとはどういう状態を言うのでしょうか。
現在の私の考えでは、「筋力では到底動かせない相手に対して、基本稽古と基本技の稽古で良い見本と悪い見本を体験させることができ、なおかつ技ができるように教授できるレベルに達していること」、だと思っています。
つまり、自分の無意識と相手の無意識をつなぐことができて、氣の力の使い方も身についており、それを教えることができるということです。
当会ではこのレベルに達したときが、やっと泳げるようになった状態、自転車に乗れるようになった状態だと捉えており、合氣の稽古の始まりだと考えています。
基本稽古の二つの技術 その2
2024年06月13日 17:07以前、「基本稽古の二つの技術」というブログで、「基本稽古では相手の防衛システムを作動させないように接触する技術と、相手の防衛システムを作動させないように動かす技術の二つの技術を使っている」ということを書きました。
その二つの技術を可能にしている原理について、現段階での私の考えを述べてみます。
まず一つ目の、相手の防衛システムを作動させないように接触するためには、相手と接触した瞬間に相手と一体となる、結ぶ、繋がる等の技術が必要です。
相手と一体になるとはどういうことでしょうか、
現在の私の認識では、接触部分を通じて自分の無意識と相手の無意識が繋がることだと考えています。
矛盾した言い方かも知れませんが、自分の意識で無意識をコントロールして相手の無意識と繋がるのです。
自分と相手が無意識で繋がっているがゆえに、相手が抵抗できないとか、相手の手がくっついて離れないという現象も起こるのだと思います。
仏教では八識とか九識十識と言って無意識には種類があり、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)、菴摩羅識(あんまらしき)、乾栗陀耶識(けんりつだやしき)というものがあるそうです。
合氣の階梯というのは、最初は一つの無意識としか繋がれないものが、稽古を重ねることによって全ての無意識と繋がることが出来るようになることかも知れません。
そして、無意識との繋がリ具合によって、想像もつかないことが起こるのではないかと思います。
無意識同士を繋げるなど荒唐無稽な考えと思われるかも知れませんが、今はそういう認識です。
ちなみに無意識とは心のことだと思っています。
二つ目の、相手の防衛システムを作動させないように動かす技術とは具体的に何を言うのでしょうか。
それは、氣の力(足下からの上昇エネルギー)を使う技術のことだと考えています。
筋力を使う身体の使い方と、氣の力を使う身体の使い方は違います。
日本の古武術には、「手を以てせず、足を以てせず」という言葉があり、勁力を使う太極拳には「太極不用手、用手不是太極拳」(太極拳は手を使わない、手を使えばもはや太極拳ではない)という言葉があるそうです。
これは氣の力の使い方を言った言葉だと思います。
手を動かすために、手の筋力を使うなということですが、筋力を使う代わりに氣の力を使うのです。
基本稽古は、相手を掴んだり、掴まれたり、触れた状態から相手を動かす稽古をしていますが、稽古の主眼は何かというと、相手と無意識で繋がることと、氣の力の使い方を身につけることです。
基本稽古が死ぬほど難しい所以です。
合氣修得のための基礎と基本について
2024年05月13日 12:10最近新しく入会された方や、入会予定の方が増えてきましたので当会の基本的な考え方についてランダムに書いてみたいと思います。
基礎と基本という言葉は、同じような意味を持っていて使い分けが難しい言葉のひとつだと思います。
基礎と基本はどちらも物事が役に立つ基になるもの、という意味だそうです。
その違いは、基礎が物事の土台のことを表すのに対して、基本は物事の軸になるものを指すということです。
では、合氣修得のための基礎と基本とは何でしょうか?
当会では
合氣修得のための基礎とは「しっかりと立ち、しっかりと座り、しっかりと歩くことの出来る身体」
合氣修得のための基本とは「相手との接触部分を通じて相手を動かす技術」
としています。
この基礎と基本は合氣修得のためには、車の両輪みたいなものでどちらもなくてはならないものです。
基礎がしっかりしていなければ、基本がどんなに優れていてもその能力を十分に発揮できませんし、基礎がしっかりしていても基本が出来ていなければ単なる力技になってしまいます。
当会では、基礎の部分は主に一人稽古で、基本の部分は道場での対人稽古によって能力向上に努めています。
基礎能力については、稽古の度に会員お一人お一人に対して、私がチェックしています。
そして、会員の皆さんの基礎能力が私を超えることを当面の目標にしています。
氣の力・合氣に関する誤った認識
2024年04月24日 07:39それは、氣の力とか勁力等の筋力ではない力が身についたら、どんな人にも通用するものだと思っていたことです。
しかし稽古を続けて分かったことは、氣の力も筋力と同じようにレベルがあるということです。
これは合氣についても同様です。
合氣が分かればどんな人でも無力化できると思っていたのですが、そうは問屋が卸してくれませんでした。
私にとって、氣の力も合氣も未知の世界の神秘の技術でしたので、氣の力や合氣が身についたら万能だと思い込んでいたのです。
現実はそんなに甘いものではありませんでした。
レベルの低い氣の力や合氣では、ごく一部の限られた人にしか通用しません。
日々の稽古の目的は、氣の力・合氣の技術が通用する人を増やしていくことと言えるかも知れません。
当会では、基本稽古が全人類に通用するようになることを目標としています。
基本稽古の二つの技術
2024年04月23日 16:50自分より、体格も体重も腕力も勝る相手に手首を掴まれたり、掴んだり、触れた状態から相手を動かすためには、普通の動作では不可能です。
どんなに速く動こうが、どんなにゆっくり動こうが、普通の動作では相手の防衛システムが作動して止められてしまいます。
当会の稽古は型稽古ですから、相手はこちらの動きが予測できるため、対処はより容易になります。
この状態から相手を動かす方法は、各武術、各流派によって様々だと思いますが、当会では合氣の原理で述べたように「相手の防衛システムを作動させないように接触し、防衛システムを作動させないように動かす」ことによって相手を動かすことを可能にしています。
つまり、相手の防衛システムを作動させないように接触する技術と、防衛システムを作動させないように動かす技術の二つの技術を使っているということです。
では、防衛システムが作動しないように接触するにはどうすれば良いのでしょうか。
そのためには、相手と接触した瞬間に「相手と一体になる、相手とひとつになる、相手と結ぶ、相手と繋がる、相手とシンクロする、相手と調和する、相手と和する、相手と同化する・・・」等の状態を作ることです。
私はあなたで、あなたは私状態です。
自分と相手が一体になっているので防衛システムは異常を感知できず、防衛システムが作動することはありません。
その後相手を動かすのですが、普通の動作で動かすと瞬時に自他は分離し、相手の防衛システムが作動してこちらは身動きできなくなります。
相手の防衛システムを作動させることなく動かすためには、相手を動かすという技術が必要になります。
自分の身体を自分の神経で動かすように、相手の身体を自分の神経で動かすのです。
細かい注意点は、たくさんあるのですが、当会の基本稽古ではこの二つの技術を主に稽古しています。
ほとんどの方にとっては未体験の感覚だと思いますので、この文章を読んでもなかなか理解できないと思います。
宇城憲治先生がおっしゃる「百見は一触に如かず」です。
まずはお気軽に体験においでませ。
合氣の身体は20年
2023年02月28日 20:42私が子供の頃は、桃栗3年柿8年、梅はすいすい13年 ♪♪ と歌っていました。
芽が出て実がなるまでに、桃と栗は3年、柿は8年かかるということです。
梅の場合はもう少し早く実がなるそうですが、何事も成し遂げるためには相応の年月が必要という意味のことわざです。
では、氣の身体になるにはどれくらいの年月が必要なのでしょうか。
錦戸無光先生は
「普通、氣の身体になるには、一般の人では、早い人でも20~30年かかります。」(合氣の極み)
佐川幸義先生は
「いろいろ工夫しながら毎日鍛錬を猛烈にやっても、身体がある程度出来るまでには少なくとも20年はかかる。
とても10年やそこらではいくらやったって身体は出来てこないのだ。
身体が出来てこなければ本当には出来ないよ。」(透明な力)
とおっしゃっています。
毎日鍛錬を猛烈にやっても最低20年。
何を以て氣の身体が出来たと言うのかは問題ですが、両先生が口を揃えておっしゃることですから間違いないと思います。
ちょっと聞いたら心が折れそうな言葉です。
しかし、合氣修得を目指す人にとっては貴重な情報ではないでしょうか。
合氣は力を使わないから、技術だけを錬磨すれば鍛錬は必要ないと考える人も多いかもしれません。
最低20年は鍛錬を続けなければ物にならないという予備知識を持って稽古を始めるのと、鍛錬の必要性を知らないで稽古を始めるのとでは、その後の上達やモチベーションの維持に大きな差が出ると思います。
こうした情報を残してもらえるというのは、本当にありがたいことです。
桃栗3年柿8年、合氣の身体は20年 ♪♪
あれから3年 その4
2023年02月27日 17:20昨年の暮れには、熊本県美里町にある日本一の石段と言われる3333階段に行ってきました。
全長2900メートル、標高差620メートル。
日本各地の名石や、中国、韓国、インド、アメリカなど世界各国の御影石が使われていて、昭和63年3月末に完成したそうです。
その階段の上り口で、今日3回目を登ってきたという男性に出会いました。
聞くところによると、27年間で一万五千数百回登っておられるということです。
数字は詳しく言われたのですが忘れました。
とにかく1日1回では到達できない回数です。
お歳を聞くのを失念してしまいましたが、私よりも先輩であることは間違いありません。
また、多分30代か40代の男性が、重そうなリュックを背負い、両手にそれぞれ12キロのダンベルを持って登っておられるところにも出会いました。
熊本にはすごい人たちがおられるものだと思いました。
私の行きつけの山には、今年85歳になる男性がほとんど毎日来られています。
そして、3年前の私ではとてもついて行けない速度で登って行かれます。
「毎日歩こうと思わないで、月に25日、1年300日を目標にすると良いよ。」とのアドバイスをいただいています。
とにかく、どこの山に行っても元気な先輩方がたくさんおられて刺激を受けます。
先輩方を目標に、これからも山中徘徊を続けたいと思っています。
あれから3年 その3
2023年02月26日 18:50一昨年の7月は、萩往還マラニックという催し物に参加しました。
「ン?」と何かを思った方もおられるかもしれませんが、マラニックというのは、マラソンとピクニックを組み合わせた造語だそうです。
参加部門は、33キロの部、66キロの部、100キロの部の三部門がありました。
それぞれ別々に出発します。
私が参加したのは、もちろん33キロの部です。
こういった催しに参加するのは初めてのことです。
真夏の炎天下で33キロも歩くのは、ひょっとしたら自分が最高齢かもしれないと思っていたのですが、先輩と思われる方がたくさんおられてびっくりしました。
33キロの部は、萩市を出発して山口市まで歩きます。
66キロの部は、33キロの部と同じコースを山口市を出発して往復します。
こちらはランニングです。
コースの途中ですれ違うのですが、向こうから走ってくる66キロの部の人達を見ていると、どう見ても私より先輩と思われる方が何人もおられるのです。
「マジか!」と思いました。
こちらは33キロでヒーヒー言っているのに、2倍の距離を走るとは。
この様子では、100キロの部にも先輩が参加されているに違いありません。
33キロで自分が最高齢かも知れないなど認識不足も甚だしい考えでした。
それにしても、こんなにたくさんの先輩方が参加されているとは驚きでした。
「よーし、今度はオレも66キロに挑戦するぞー!」
とは、これっぽっちも思いません。