基本稽古の二つの技術 その2
以前、「基本稽古の二つの技術」というブログで、「基本稽古では相手の防衛システムを作動させないように接触する技術と、相手の防衛システムを作動させないように動かす技術の二つの技術を使っている」ということを書きました。
その二つの技術を可能にしている原理について、現段階での私の考えを述べてみます。
まず一つ目の、相手の防衛システムを作動させないように接触するためには、相手と接触した瞬間に相手と一体となる、結ぶ、繋がる等の技術が必要です。
相手と一体になるとはどういうことでしょうか、
現在の私の認識では、接触部分を通じて自分の無意識と相手の無意識が繋がることだと考えています。
矛盾した言い方かも知れませんが、自分の意識で無意識をコントロールして相手の無意識と繋がるのです。
自分と相手が無意識で繋がっているがゆえに、相手が抵抗できないとか、相手の手がくっついて離れないという現象も起こるのだと思います。
仏教では八識とか九識十識と言って無意識には種類があり、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)、菴摩羅識(あんまらしき)、乾栗陀耶識(けんりつだやしき)というものがあるそうです。
合氣の階梯というのは、最初は一つの無意識としか繋がれないものが、稽古を重ねることによって全ての無意識と繋がることが出来るようになることかも知れません。
そして、無意識との繋がリ具合によって、想像もつかないことが起こるのではないかと思います。
無意識同士を繋げるなど荒唐無稽な考えと思われるかも知れませんが、今はそういう認識です。
ちなみに無意識とは心のことだと思っています。
二つ目の、相手の防衛システムを作動させないように動かす技術とは具体的に何を言うのでしょうか。
それは、氣の力(足下からの上昇エネルギー)を使う技術のことだと考えています。
筋力を使う身体の使い方と、氣の力を使う身体の使い方は違います。
日本の古武術には、「手を以てせず、足を以てせず」という言葉があり、勁力を使う太極拳には「太極不用手、用手不是太極拳」(太極拳は手を使わない、手を使えばもはや太極拳ではない)という言葉があるそうです。
これは氣の力の使い方を言った言葉だと思います。
手を動かすために、手の筋力を使うなということですが、筋力を使う代わりに氣の力を使うのです。
基本稽古は、相手を掴んだり、掴まれたり、触れた状態から相手を動かす稽古をしていますが、稽古の主眼は何かというと、相手と無意識で繋がることと、氣の力の使い方を身につけることです。
基本稽古が死ぬほど難しい所以です。