合氣が分かるとはどういうことか。
佐川幸義先生は
「合氣が分かってから本当の修業が始まるのだ。
長い間の持続した鍛錬と研究の結果少しずつできるようになってくるものだ」
「合氣は理が分かって何十年かの鍛錬をすれば誰にでもできる」
と仰っています。
ということは、合氣とは何かが分からなければ、何十年稽古をしても合氣ができるようにはならないということです。
水泳でも自転車でも、まずは泳げるようになること、自転車に乗れるようになることが第一です。
泳げるようになって初めてクロールや平泳ぎの練習ができますし、自転車に乗れるようになって初めて山道やでこぼこ道を走る練習ができます。
合氣が分からない状態というのは、まだ泳げない、まだ自転車に乗れない状態と同じことです。
ですから、合氣が分からない状態で何年稽古しても、合氣ができるようにならないのは当然です。
まずは、合氣ができるようになることが最初の目標です。
では合氣ができる、合氣が分かるとはどういう状態を言うのでしょうか。
現在の私の考えでは、「筋力では到底動かせない相手に対して、基本稽古と基本技の稽古で良い見本と悪い見本を体験させることができ、なおかつ技ができるように教授できるレベルに達していること」、だと思っています。
つまり、自分の無意識と相手の無意識をつなぐことができて、氣の力の使い方も身についており、それを教えることができるということです。
当会ではこのレベルに達したときが、やっと泳げるようになった状態、自転車に乗れるようになった状態だと捉えており、合氣の稽古の始まりだと考えています。