「拳聖 澤井健一先生」
今日は、「氣の力を求めて その2」で紹介した「拳聖 澤井健一先生」 佐藤嘉道氏著 1982年2月 スポーツライフ社 を読み返しています。
この本は私の人生に大きな影響を与えた本の中の一冊です。
澤井健一先生は、中国武術「意拳」の創始者である王向斉師の下で修行を重ね、日本に帰国後、大気至誠拳法(太気拳)を創始された武術家です。
今回は、私の若き日に、私が目指すべき老人の姿を教えてくれた澤井先生の言葉を紹介したいと思います。
少し長いですが引用させていただきます。
「年老いて光るもの」
人間の一生は、長いようでいて段階的、たとえば幼年時代、青年時代というように分けると短いものである。
若いうちは無我夢中で過ぎていってしまうが、ある年齢まで来ると淋しいものである。
さらに悪いことには、その淋しい状態を若い時には分からないということである。
生涯の大半を仕事に生きる人間にとっては、その現役を退く時、誰でも迷いがあるものだ。
すなわち、会社でも定年になり退職すれば、次の日には何かしなければならない。
誰でもが若い時には、六十代に近づけば、それを人生の終末だと考えている。
これは大きな誤りである。
これもまた、人生の一段階にすぎないのである。
五十五歳からでも、六十歳からでも(たとえ退職しようとも、たとえ伴侶が死のうとも・・・・)人間は、生が終わるまで生きなければならない。
そこに大きな問題がある。
老年を孫の面倒をみることや、庭いじり、散歩などで平穏無事に過ごすことによって満足できるという人もいる。
しかし、わたしはこの年齢だからいうのだが、そんな余生を送る人間にはなってもらいたくない。
なぜなら、若い時も、年老いても同じ人生に変わりはない。
燃え尽きるまで、生き生きとしている人間の方が美しい。
それには、若い時も年老いた時が来ることを考えて行動しなければならない。
年老いてから何かをしようとしても簡単にできるはずがない。
身体も昔のように動ける訳ではないので、旅行をしたとしてもすぐに疲れて、美しい景色に感動することさえ薄らいでくる。
やはり若いうちからの準備が必要なのだ。
この準備を怠れば、死を待つだけの老人となる。
こういう老人にだけは、わたしはなりたくない。
人間は、普通に生活だけしていると五十代にはもう若者に相手にされなくなる。
いわば人間社会で道の端に置かれたようなもので、さらに六十代になれば、完全にそうなる。
ひどい場合には話にも加われなくなり、「どうせ老人だから」と行動範囲も狭くなってしまう。
しかし、年老いても社会福祉とか若者の指導などで生き生きと活躍している人がいる。
そんな人になりなさい。
そういう力を持てる人になりなさい。
そこには光がある。
輝いているものがある。
君達が太気拳を学べば、光あるものになれることを私は約束する。
武術の先生を評価するのはむずかしいことではない。
話だけの先生もいる。
しかし、実際に動いてみればすぐにその先生が、どのくらいの力があるか判断できる。
昔がどうだったか(若い頃は強かったなどということ)というのは問題ではない。
問題なのは、現在どれだけの技を持っているかということである。
現在動ければ、若いものを指導できる。
そういう世界である。
すなわち、人生の最後のご奉仕も出来るというものである。
若者と接していれば、身体は年老いても精神は年をとらない。
年老いて活躍できる人と、若者にも相手にされない死だけを待っている人では天と地の差がある。
そして、その年老いてからの人生というか、期間は意外と長いものである。
「年老いて光るもの」・・・・・・・ぜひ、そのことを理解して身につけていただきたい。
(澤井先生が67,8歳頃のお話)
三十四、五年前の話ですので、今の年齢の感覚とは十歳以上の違いが有るようには思いますが。
私は、恥ずかしながら腰が引けて太気拳に出会うことはありませんでした。
しかし、このような老人になりたいという思いを持ち続けたおかげで、あの苦しい基本功に耐えて、氣の力・合氣の稽古を続けることができ、現在に至っています。