氣の力 合氣について 2

2024年9月


2015年9月、ホームページに「氣の力 合氣について」という記事をアップしてから9年が過ぎました。


その間、諸先生方の本を読んだり稽古を重ねる中で、氣の力と合氣についての理解が進んだように思います。


今後も認識は変化を続けると思いますが、現段階における氣の力と合氣についての考えを書いてみたいと思います。


1 氣の力について


9年前の氣の力に対する認識は、

「氣の力とは、しっかりと立ち、しっかりと座り、しっかりと歩くことによって生まれる力だと考えています」

というものでした。


氣の力とはこれだ、と言う確信はまだありませんでした。


しかし、2022年6月に

「氣の力とは、自分の身体の重みが地球を押している力の反作用として働く力(足下からの上昇エネルギー)のことである」

と定義しました。


それは、私が足下から上昇してくるエネルギーを自覚したからです。


この反作用の力は、あると分かっていてもなかなか感知することが出来ないエネルギーです。

しかし、氣の力は自覚の有無にかかわらず老若男女すべての人が持っている力です。


氣の力はすべての人が持っているにもかかわらず、なぜ氣の力を使える人が少ないのでしょうか。


氣の力を使える人が少ない最大の理由は、氣の力は日常生活を送るうえで全く必要がないためだと思います。


日常生活においては筋力が使えれば十分です。

氣の力が使えなくても生活に何の支障もありません。

人は必要のないことにはあまり関心を持ちません。


そもそも、氣の力の存在など知らない人の方が大多数だと思います。

筋力以外の力があるという知識を持っている人は、武術や身体操作等に興味がある、ごく一部の(変わった)人だけではないでしょうか。


氣の力を使える人が少ないもう一つの理由は、氣の力は筋力に比べて使い方の修得が極めて難しいことだと思います。


筋力は誰でも使えますが、氣の力は氣の力を使える人から使い方を習わなければ使えるようになりません。

しかも、氣の力の使い方を長年習っても、使えるようになる保証はないほど難しい技術なのです。


また、氣の力(筋力によらない力)は目に見えるものではないため、名称も勁力・呼吸力・中心力・根源力・渾元力等たくさんあり、理論も様々です。


当会で氣の力という名称を使う理由は、私が稽古を始めたきっかけが、神秘的で胡散臭く、妖しい雰囲気をまとった「氣の力」という言葉に惹かれたということで、当会では氣の力という名称を使っています。


2 合氣について


9年前の合氣についての認識は、

「合氣とは、氣の力を使って、接触した部位を通して相手の身体を崩す技術である」と考えています。

というものでした。


合氣について何も分かっていない、ということがよく分かる文章だと思います。

当時、氣の力についてはある程度理解していましたが、合氣については全く分かっていませんでした。


合氣とは何かが分からないながらも合氣探求の旅を続けるうちに、ひょっとしたらこれが合氣ではないかという気づきがありました。


そして、2022年5月、ホームページに

「合氣とは、相手と接触した部位を通して相手の身体をアンコントロール(制御不能)の状態にする技術である」と定義し


「具体的には相手が抵抗しようと思っても抵抗できない、掴んだ手を離そうと思っても離せない(相手の手がくっつく)ような状態にすることです」とアップしました。


それは、氣の力でも相手を動かすことは出来るのですが、氣の力だけでは、相手が抵抗しようとしても抵抗できないとか、触れただけで相手の手がくっつくような状態にはならないということに気づいたからです。


このような状態を作り出す技術こそが、合氣であると考えたのです。


この定義は、合氣とはどのような現象かという観点で定義したものですが、その現象はどのような原理で成り立っているのかという観点からも定義できると思います。


その観点でいえば

「合氣とは、相手の無意識と自分の無意識を繋げる技術である」

とも定義できます。


相手と自分が無意識で繋がることによって、相手と自分が一体となり、相手が抵抗しようと思っても抵抗できない、掴んだ手を離そうと思っても離せない(相手の手がくっつく)ような現象が起こるのです。


その他、合氣について様々な観点から定義できると思います。


私が考える合氣の定義を書いてみます。


「合氣とは、相手の潜在意識と、自分の潜在意識を繋げる技術である」

「合氣とは、相手の心と、自分の心を繋げる技術である」

「合氣とは、相手と一体になる技術である」

「合氣とは、相手とひとつになる技術である」

「合氣とは、相手と結ぶ技術である」

「合氣とは、相手とシンクロする技術である」

「合氣とは、相手と調和する技術である」

「合氣とは、相手と和する技術である」

「合氣とは、相手と同化する技術である」


「合氣とは、相手の防衛システムを作動させない技術である」

「合氣とは、ステルス技術である」

「合氣とは、相手の神経を乗っ取る技術である」

「合氣とは、相手の身体をハッキングする技術である」

「合氣とは、相手を無力化する技術である」


「合気とは、人智を超えた不思議な技術である」

「合気とは、人が身につける特別の技術である」

「合気とは、1対1で伝授しなければ出来るようにならない技術である」


群盲象を撫でるようなことかも知れませんが、現段階での私の合氣についての考えです。