鍛練ではなく錬磨

2017年02月07日 13:56

「合気は鍛練では語れず、錬磨の連続なり」

古賀師範の言葉です。


今まで合気を修得するためには鍛練は必須のものだと思っていましたが、師範に技のタネを伝授され、この言葉を聞いて納得しました。


私はまだ合気の稽古を受けるレベルにはありませんが。気の稽古についても同じことが言えると思います。


辞書によると

鍛練とは、元来は金属を鍛えること。転じて心身を鍛えること。

錬磨とは、鍛えて磨き上げること。

とあります。


本やネットを見ると、気についての捉え方は様々ですが、師範の気は、心と身体を使った明確な技術です。

技術の修得に鍛練は必要ありません。

車の運転技術を修得するのに、心身の鍛錬は必要がないのと同じことです。


はた目には魔法のように見える気の技にも、その技が成立するには必ず理由(わけ)があります。

タネがあります。

そのタネとは、例えば動かないところを動くようにし、動いてはいけないところを動かないようにし、意識できないところに意識を通し、見えないものを見えるようにし、感じないものを感じるようにするようなことです。


このタネを使いこなせるようなるためには、鍛練はあまり重要ではありません。


そして、氣の稽古の場合には、他の一般的な稽古事と違って厄介な一面があります。


車の運転技術の修得の場合であれば、一旦、車をスムースに動かせるようになったら、次の日にそれが全く出来なくなるようなことはまずありません。

ところが、氣の稽古の場合には、一旦出来るようになっても、次の瞬間に全く出来なくなるのは当たり前のことです。

まして稽古相手が変わったり、一晩寝たら、まず全く出来なくなっていると思って間違いありません。


何もしなければ、すぐに錆が出る金属のようなものです。


常に磨き続けなければなりません。・・・・


合気・気の修得に必要なのは鍛練ではなく、絶えざる錬磨だと思います。