氣の力を求めて その5

2015年09月11日 22:00

氣の力を修得するためには、氣の力を体得している人から直接の指導を受けることが、必要不可欠の条件ではあるのですが、指導を受けたからといってすぐに身につくほど甘いものではなかったのです。

氣の力を体得している人が少ないのも、尤もなことだと思いました。

氣の力を修得することがむずかしい理由を思いつくままに書いてみます。

1 氣の力の正体が分からないこと

氣の力が、普通の筋力とは質の違う力である、というのは実際に体験する事によって理解出来るのですが、ではその力がどういう原理によって生み出されているのかということが分からないのです。

これが普通の力であれば、力は骨格筋の収縮と弛緩によって生み出されるということが分かっています。

したがって力を強くするためには、筋力トレーニングによって必要な筋肉を鍛え、筋力を強くすればいいだけの話ですから、何も悩むことはありません。

しかし、氣の力の場合は、その力はどうやって生まれるのか、どんな風に感じられるのか、どう使えばいいのか等が、全く分かりません。

まるで、ブラックボックスのようなものです。

意拳の王向斉先生は、弟子である澤井先生に対して、

「あなたに氣の力を何百回説明しても分からない。それは自分の力でしか得られないものだ」

と語られていたということです。

私も師範に、氣の力とは何かを尋ねましたが、同様の答えが返ってきたのを覚えています。

2 稽古が単調、且つ非常にきつく、つらいこと

内家拳の修行者で、立禅等の稽古をされている方は先刻御承知でしょうが、一定の姿勢を保ってじっと立ち続けること、ゆっくりと歩き続けることが、どれほどきつくつらいことか、これは実際に体験した人でないと分からないと思います。

筋力トレーニングやランニング等の身体を動かすトレーニングも確かにきついのですが、そのきつさとはひと味もふた味も違います。

もしこれが自分の意思で無く、人から強制されてやらされるとしたら、立派な拷問になると思います。

3 この稽古をすれば確実に氣の力を得られるという希望が持てないこと

私が入門した道場では、氣の力を修得するために、立禅、練功法、歩法の稽古を主にやらされましたが、入門当初は、こんな稽古を続けて本当に気の力が身につくのだろうかという疑問が、正直ありました。

澤井先生も

「王向斉先生に立禅の形を教えられた時、こんなことをして本当に強くなれるのかと、疑問を持たずにはいられなかった。

こんな稽古が何の役に立つのだろう。

毎日毎日ナツメの木の下で、じっと立つ時にはいつもそう考えていた。

こんな稽古でいざという時本当に動けるのだろうか。

氣とか力が生まれるのだろうか。

少なくとも三年くらいはそう思ったものである。」

と語られています。

私が読んだある本では、氣の力を体得したという先生が

「この種の力は、ひたすら修練していれば身につくこともあれば、才能がなければ一生身につかない」

と書いておられます。

あんなきつくつらい稽古を一生稽古しても身につかないと言われたら、普通の人は心が折れてしまいます。

これが例えば、ダイエットが目的ならば、二か月後に見違えるような身体になるためには、専門家による食事指導と、運動指導を受けて取り組めば、ライザップのCMのように変身する事が可能であると思えます。

根性を出してやれば、見違えるような身体になれるという希望があります。

やる気が出るというものです。

しかし、氣の力についてはその希望が持てないのです。


つづく