氣の力を求めて その6

2015年09月12日 21:42

今回も引き続き、氣の力を修得する事が難しい理由を書きます。

4 氣の力を修得するには長期間を要すること

もし、氣の力を修得する事が出来たとしても、それには長期間の修行を要するということです。

「拳聖 澤井健一先生」の本の著者である佐藤嘉道氏は、御自身の場合

「立禅の苦しみを長年続けていると、ひとつの形が出来、体内に“気”が充満してくるのが分かるようになる。

私がそれを感じたのは、立禅を組み始めてちょうど五年くらいたってからのことである。

電気でいう充電と同じように、体内に自然と“気”が充満してきたのを覚えている。

ただ「気が充実してくる」のは分かったのであるが、それは実際に技として使う、外面に出す技術とは全く別なものであり、そこにひとつの難題がある」

と書いておられます。

このきつくてつらい稽古を五年間続けてようやく気が感じられ、しかもそれを実際に使うにはまだ壁があるというのです。

本の中では、三十分あるいは一時間立ち続ける、とあります。

もちろん毎日です。

薄紙を毎日一枚ずつ重ねていって、大きな玉を作るような作業です。

心が四つ折になります。

5 うまくいった時の実感・手応えがないこと

筋力でやる場合には、うまくいった時の確かな実感や手応えがあり、達成感があります。

しかし、氣の力で出来た場合にはそれがありません。

指導を受けてうまくできた時には、指導者がワザと動いてくれたのではないかと思うくらい、力を使わずに出来るのです。

そのため、本当に出来たのかどうか、ついつい指導者を疑ってしまうほどです。

6 うまくいった時と、うまくいかなかった時の違いが自覚できないこと

師範からそれで良いと言われても、何が良いのか、どこが良いのか、良い時と悪い時の違いが全く分からないのです。

違いが分かる男になろうと思って、ネスカフェゴールドブレンドを飲んでみましたが、駄目でした。

出来た時と出来ない時の違いが分からないため、フィードバック(物事の反応や結果を見て、改良・調整を加えること)のやりようがないのです。

7 上達が目に見えないこと、なかなか実感できないこと

筋力トレーニングや、スピードアップのトレーニングであれば、何キロ持ちあげられるようになったとか、何秒短縮できたとか計測する事が出来ます。

客観的に進歩上達が分かります。

身体もそれなりに逞しくなったり、あるいはシャープになったりして変化を実感できます。

ところが、氣の力については上達しているのか下手になっているのか、変化がないのか、なかなか実感できません。

五分しか立てなかったのが、二十分ぐらい楽に立てるようになったというような進歩はありますが、はたしてそれが気の力を修得する目標に近づいているかどうかは、知る由も有りません。


つづく