弓と禅 その3

2016年09月07日 16:12

立派な射手は中くらいの強さの弓でもって、魂のない射手が、最強の弓で射るよりも遠くまで射るというのは、我々弓の師範には周知のことであり、そしてまた日々の経験によって確認されている事実です。

ですから罪は弓にあるのではなく、あなた方が射る時の“精神現在”にあり、活発さと覚醒状態にあるのです。

ヘリゲル博士の師、阿波研造師範の言葉

この場合の魂のない射手というのは、私のような門外漢のことではなく、射法は十分に承知している一般の弓道家のことでしょう。

銃の場合、最大射程距離は同一条件下であれば、誰が撃っても変わりません。

誰が撃っても性能の優れた銃の方が飛びます。

たとえ犬が引き金を引いたとしても同じことです。

ところが弓の場合は、射手によって飛距離が変わるのだそうです。

同じ弓なら、射手の技量の巧拙によって多少飛距離が変わることも納得できるのですが、中くらいの強さの弓でも立派な射手が射ると、普通の射手が最強の弓で射るよりも飛距離が出るというのは驚きです。

「射手によっては、弱い弓でも強い弓に勝てる。」

常識では考えられません。

これを合気の稽古に例えると、型稽古とは言え、非力な、か弱い女性が、力の強い屈強な男性を本当に投げ飛ばすことに似ています。

こちらも常識では考えられません。

師範によれば、普通の弓でも最強の弓に勝てる要因は、射手の“精神現在”にあり、活発さと覚醒状態にある、ということです。

合気の稽古の場合も、ほぼ同じようなことが言えるのではないでしょうか。

常識で考えられない技の、タネも仕掛けも教えられています。

後は稽古に励むだけです・・・・